第6章 厭離穢土 欣求浄土

家康の嫡男、竹千代信康は正室の築山御前との子で幼少のころより器量ありとされ、
信長の嫡子、奇妙丸信忠にも勝るとも劣らぬとも言われていた。
ところがある日、信長に武田家内通の嫌疑をかけられ、切腹を命じられた。
家康としては、自慢の嫡男をみすみす殺すような事はしたくない。
が、当時の徳川家の勢力では織田家に太刀打ちできるはずもなく、家康は泣く泣く、
信康に腹を切らせ、築山御前を殺害したのである。その頃より家康の胸中に
黒く暗雲の如く立ち込めるものが生じていたのだろう。

夜が明ける・・・返り血や泥にまみれた兵たちを陽が照らす。
そしてその陽の下に金扇の馬印と「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」の
大軍旗が徳川家紋の「三葉葵」とともに大きく翻った。
「信康の無念、いざ晴らさん・・・。」
家康のこの一言が戦乱に再び火をつけた。
援軍の到来により、明智勢3000余騎は俄然、勢いを取り戻し再び織田軍に攻めかかった。
徳川軍の奇襲により混乱に陥った織田軍の中で、真っ先に壊滅したのは
池田恒興の部隊だった。総力を挙げて斎藤利三の残党狩りに集中していたため、
背後より酒井忠次の攻撃に散らされ、恒興は討ち死にを遂げた。
本多、井伊勢の猛攻を受けた丹羽・信孝軍も一時は浮き足立ったが、
長秀の見事な采配により、陣形を立て直し、なんとか持ちこたえていた。
本能寺に立て籠もっていた信長本隊100余は丹羽・信孝隊と合流すべく、
壊滅寸前の光秀本隊を強矢の如く突っ切った!
しかしそれを家康本隊が見逃すはずも無かった。
あっと言う間に大軍のなかに呑み込まれていく。
馬廻衆が信長を中心に輪を作るようにして周りを固める。
「おのれ、古狸がっ、目にもの見せてくれるわ!」
そう言って飛び出したのが矢代勝介、湯浅甚介の2人。
この2人に限らず信長を含め皆、獅子奮迅の戦いようであった。
しかし、多勢に無勢次々に討ち取られ輪は徐々に縮まっていく。
そして一本の矢が馬上のその人を貫いた。
血を吐き、落馬するその人に向かって馬廻達が絶叫する。
「上様っ!傷は、傷は浅うございまする、どうか、どうか御気を確かに!」
泣きながら絶叫し、応急処置を施そうとするが、血は止まりそうに無い。
矢は、心の臓の中程まで達し,もはや事切れており返事は無かった・・・。

第7章 黄金の甲冑