六章 真敵
翌日、夜が明ける前に柴田軍は総撤退を開始し、
勝家の居城である北ノ庄城を目指して駆けに駆けた。
入れ替わるように未だ何も知らされていない森長可の率いる別働隊が越後に侵入、
春日山城に肉迫した。
越後の国人領主である新発田重家もそれに同調して叛乱を激化させ、
上杉の意識はそれらに奪われ、
降伏開城した魚津城から勝家らが遁走した事に気付くのに一両日を要した。
また、気付いた後もその目的を計りきれない以上、追撃軍を出す余裕もなく、
柴田軍は一兵も損なうことなく北ノ庄城へ帰着した。


同じ頃、西にも勝家と同じく大返しを起こしている者がいた。
信長が己の死に際して、最も警戒心を抱いた男……羽柴筑前守秀吉である。
秀吉は少々の手違いから偶然に信長の死を知り、知ったその瞬間こそ衝撃を受けたものの、
その狡猾な頭脳は次の瞬間には既に、信長亡き織田家を如何にして乗っ取るかを考え始めていた。
そのためには、まず大逆人である光秀を自らの手で討つ事が絶対条件であり、
その功を持って織田家の主導権を握らねばならない。
しかし逆に言えば、主導権さえ握ってしまえばあとはどうにでもなる、と秀吉は踏んだ。
また、軍師である黒田官兵衛孝高もそれに賛同した。
「主君が討たれた事を嘆くでもなく、好機と為すとは‥さすがは秀吉様、いや上様」
官兵衛は一度名前で呼び、それを上様と言い換える事で、
自らの力で秀吉に天下を取らす事を暗に示した。
それを早くも汲み取った秀吉は、
「ならば、即座に毛利と和議を結ばねばならぬ…官兵衛、全て任せるぞ」
「御意。しからばこれにて…」
翌日、官兵衛は毛利家との和睦を見事に成立させ、
羽柴軍は秀吉の居城である姫路城へと引き上げて行くのだった――――