五章 秘策
「しかし何故じゃ、何故日向守が上様を‥」
勝家はつぶやいた。
「そうじゃ、こうしてはおれぬ、直ちに軍を返すぞ!大返しじゃ!!
 光秀だけはなんとしてもこの手で討たねば!!」
勝家は弾かれたように立ち上がると、
「利家、主だった者らを集めておけ」
と言い残し、広間へと向かっていった。
夕庵は黙したままそれに付き従っていたが、ふと足をとめて口を開いた。
「権六様、大返しを為さる御積りなら、上杉はどうなさります?」
「そうじゃ、それが問題なのじゃ…。光秀を討つにはそれ相応の兵力が不可欠。
故に北陸をほぼ空にすることになる‥そこを上杉に突かれれば、一たまりもなかろう」
「某に一つ、上杉に後ろを脅かされることなく、確実に大返しの可能な策が御座います」
「なんと、そりゃ真か!?」
「はっ。ただ、その策を取るには、あるお方に捨石となってもらわねばなりませぬ‥」
「なに?いったい誰を捨石にせよと言うのじゃ」
「森武蔵守殿に御座ります…」
この時、森武蔵守長可(もり むさしのかみ ながよし)は、
武田攻めの功によって、旧武田領北信濃から更級・高井・水内・埴科の四郡が加増され、
そこから直接越後を窺っていた。
「森殿の軍勢が越後に入れば、上杉景勝の居城である春日山城まではそうありませぬ。
そうなれば景勝殿は居城の守備を固めねばならず、我らを追う事はかないますまい。」
「確かに…されど、その抑え、長くは持つまいな?」
「御意。上様御自害の一報が上杉に届けばそれまでに御座います。
 上様の死を知れば上杉軍の士気は上がりましょう。逆に森殿の軍勢の士気は地に落ちるでありましょう。
 ただでさえ剽悍(ひょうかん)を持って鳴る上杉軍。いくら鬼武蔵の異名をとる森殿とて…」
勝家は夕庵の話の先を手で制し、
「良きに謀らえ・・・」
とだけ残して再び広間へと向かって行った。
その顔には、その心の葛藤と悲壮な決意が表れていた