四章 真

武井夕庵は信長の右筆であり、京政や諸大名との外交にも大きく関わってもきた人物である。
勝家のもとへ通された夕庵は、自分が見たことの一部始終を語った。
夕庵は六月一日深夜(二日の未明)も信長とともに京・本能寺にあったのだが、
明智日向守光秀が謀反を起こし本能寺を襲った。
支えきれない事を悟った信長は寺に自ら火をかけ、
その混乱に乗じて夕庵を勝家を頼れと命じて脱出させ、自らは能・敦盛を舞って後、腹を切った。
その介錯は小姓である森蘭丸成利が務め、彼もすぐ後を追ったと云う…。

夕庵は信長がなぜ勝家を頼るよう自分に命じたのか判りかねていた。
京から近い大坂には、信長の四男である織田(神戸)三七郎信孝に、
織田家で勝家と唯一肩を並べる存在で、その存在の重要性から
[米五郎左]とまで呼ばれた丹羽五郎左衛門長秀らが四国遠征軍として待機中であり、
また京からは少し離れるが、伊勢には信長の三男の織田(北畠)三介信雄がいる。
そして何より目と鼻先の南近江には信長の本拠・安土城があり、
逃げ込んで態勢を整えるには適していると思われた。
しかし信長はそれら全てを不適と判断した上で、
京から遠く離れた地にある北陸方面攻略軍軍団長の勝家を頼るよう言った。
それらを考えながらも、夕庵は遺命通りに北陸を目指していた。
道中、運良く柵に繋がれた駿馬を見つけ、それに乗ってさらに進んでいたところ、
利家の命で京に向かっていた奥村助右衛門と偶然出会たというのであった。

「正夢…か」
勝家は苦笑混じりに利家を振り返る。
「“夢”には御座らんでしょう。親父殿と某は“見た”のでありましょう、上様の御最期を…」
利家はそう言うとその場で崩れるように咽び泣き、
赤鬼と呼ばれた勝家の目にも涙が浮かんでいたのだった