十七章 離脱

信正の首を目指して駆けていた羽柴軍は信正の奇策にあって一瞬でその半数以上が霧散した。
勝利を確信していた秀吉は、本体を挙げての総攻撃に入ってしまったため、
予想だにしなかった事態に完全に次の手が無くなってしまった。
「馬鹿な!?盛政の敗走が偽装だったと申すのか?いや、あれは確かに崩れておった…
なるほど、魔王め、盛政の敗走までも策のうちという訳か……」
考えてみれば東侵を開始してからの秀吉の勝利は、全て信正の設けた罠の入り口であり、
その後には火炎地獄などの謀略が常に待ち構えていた。
そして、今回の戦もその例に漏れなかった。
もし秀吉の近くに官兵衛がいたら、決してこのような無謀な突撃はさせなかっただろう。
しかしその官兵衛は徳川軍によって秀吉と分断され、秀吉本隊が敵中深くに入ってから
初めて織田軍に不審を感じたのである。
「徳川様が損害も省みず我攻めに出たるは全て信正殿の策か‥それにしても、
術中に陥って尚それに気付かなんだ己の愚かさよ…この上は、我が命に代えても上様とともに
一人でも多くの将兵を落とし参らせん!」
意を決した官兵衛は旗下全軍を率い織田・徳川軍に突入していった。
「この戦、最早勝ち目は御座らぬ!こうなった以上、ここは拙者が切り防ぎ申す故、
各々方は上様をお守り致し、疾く落ち延びられよ!」
官兵衛が叫び、それを聞いた羽柴軍の兵卒らは我先にと逃亡を始める。
それでも流石に大将、部隊長らはできるだけ敵に付け入る隙を与えないようにと慎重に後退する。
「官兵衛殿!!上様は、上様は御無事で御座るか!?」
若き主君、宇喜多秀家を補佐する後見の宇喜多忠家が秀家を守りつつ叫ぶ。
「申し訳御座らぬ、確認できておりませぬ。されど、我らの上様はこのような所で命を落とす方では御座らん。
必ずや無事落ちられるでありましょう。宇喜多殿も、早う落ちられよ」
「かたじけない!されど、それでは我らの面目が立ち申しませぬ。兵一千をお貸し申します故、
存分にお使い下され!!」
「それは願っても無き事、有難くお借り致しまする。されば、武運あれば姫路でまた!」
忠臣らは別れを交わす。その後も次々と将たちは落ちて行き、皆少数ながら官兵衛に兵を預けた。
福島正則と加藤清正は最後まで戦うと言って聞かなかったが、
「たわけ!その方ら以外に誰が上様をお守り致すのじゃ!!」
と官兵衛が一括すると、渋々落ち延びて行った。
一方、肝心の羽柴軍左翼であるが、正しく阿鼻叫喚の地獄絵図となっていた。
敵を追い立てていたところに、二千挺を優に超える鉄砲・大鉄砲の豪雨を受け、
その直後に乗り崩され、ほとんどの部隊が瞬く間に殲滅されていく。
「高山右近様、中川瀬兵衛様ともにお討死!」
「山内様、堀尾様の隊ご壊滅!お二人の生死の程、確認できませぬ」
「筒井順慶様、敵の囲いに合い御自害なされました!
養子の定次殿は家老の島左近殿の防ぎあって無事落ちられたとのこと」
次々ともたらせれる絶望的な悲報の数々に、秀吉は茫然自失になっていた。
「兄上、御無事であられたか!」
そこへ秀吉の弟である羽柴秀長が馬廻りと共に駆けてきた。
「おぉ、小一郎!皆、死んでしもうたわ…こうなったらわしもここで討死を」
「何を申される!殿軍はそれがしに任せて、兄上は姫路に退かれよ。見れば、右翼も早退き戦。
官兵衛が徳川を防いでおるうちに」
秀吉と秀長が言い争ううちに、遂に柴田勝家が秀吉本陣に追いついた!
「筑前、覚悟せい!!貴様の首はわしが信長様の墓前に据えてくれるわ!!」
勝家が吼える。立ち塞がる全ての者を薙倒し、勝政がそれに続く。
「兄上、早く!」
「う、うむ。任せた、小一郎!」
秀長に後を任せて、秀吉は数名の近臣と共に逃走する。
「さぁ勝家殿、ここから先へは一歩たりとも通しませぬぞ」
そう言って秀長は穏やかに笑った。

結局、官兵衛・秀長の命を賭した殿軍によって、無事秀吉らは姫路へ辿り着いた。
しかしこの惨敗に、大和の筒井定次、中国の毛利輝元らは羽柴家を見限り、
定次は息子の順定を、輝元は年少の叔父である小早川元総(毛利元就の九男)を
織田家にそれぞれ人質として差し出し降伏した。
信正はそれを許し、筒井家を本領大和一国安堵。
毛利家を安芸・長門・・周防・石見の四国安堵で他を召し上げとした。

こうして秀吉は姫路城のある播磨の他は宇喜多家の領する備前を残し四面楚歌、孤立無援となってしまった。