「お、おぅ…信正め、わしらを城ごと吹き飛ばすつもりであったのか」
秀吉は城を見て呆然としている。しかし彼の頭のひっかかりは無くなっていなかった。
「いや、待てよ。城でわしらを殺す算段であったなら橋は何のために落とされたのじゃ…。
拙い、まだ何かある!」
そう思ったときには既に遅かった。城から瀬田川にかかった橋までの街道、つまり秀吉ら
羽柴軍で埋め尽くされた街道の両脇にあった草原が一斉に火柱を立てて燃え上がった。
道の両脇にはあらかじめ油を大量に染み込ませた枯れ草が並べられていたのだが、夜陰と
秀吉が皆を急がせた事が重なって誰もその存在に気付かなかった。
燃えている城を呆然と眺めている間にそこからでた火の粉が枯れ草に引火し、一瞬で道の
左右に火炎の壁を作り出した。炎に囲まれた将兵たちは次々と川へと飛び込んでいく。
秀吉ら主だった者たちも各々の従者たちに守られて命からがら逃げ延びたが、この火炎地獄の
ために多くの兵や物資が失われることになった。
「くっ、戦わずして我らにこれ程の損害を与えるとは…さすがは魔王と呼ばれた上様のご長子か」
信正の鬼謀によって一戦も交えることなく大損害を被った羽柴軍ではあったが、これで引き下がる
はずもなく一旦軍を京まで退き、後続隊の到着によって戦力が回復すると再び進軍を開始した。
その頃には信正率いる織田軍も瀬田の地に布陣を終え、徳川家康率いる同盟軍も到着していた。

信長死すの報に一時は織田家からの独立も考えた徳川であったが、清洲会議の直後に家康自ら
清州城天守で信正と会談に及び、その信長にも勝るとも劣らない器量を読み取った後は、
完全に織田家に従う形を取っている。それというのも、家康が信正に対面した際、
そのえも言われぬ威圧感は家康を思わず平伏させてしまう程で、信正に従うのが自然である
ようにまで感じてしまったのであった。
信正はその時、家康に援軍を要請すると共に、武田討伐の恩賞として故父信長が与えた駿河に
加えて甲斐一国を与えている。甲斐は、織田家の川尻秀隆が治めていたのだが、本能寺の変後に
武田の残党達に攻められて秀隆が討たれ、主不在となっているのだが、人徳のある家康なら
巧くやるだろうと考えての事だった。
「織田家に仇なす輩を誅するは元より我らが役目。それは総見院(信長)様が身罷り申されたとて
変わりませぬ。某は総見院様を兄とも思うておりますれば、その忘れ形見であられる信正様に
いかで従わざることがありましょうや。某自ら兵を率い信正様に弓引く賊徒どもを討ち平らげて
御覧にいれましょうぞ」
家康は家臣が主君に対するように信正に従う意志を見せた。
「うむ、まこと頼もしい限りである。海道一の弓取りと名高い徳川殿の武略は正しく万夫不当。
亡き父上の大恩を忘れ主家に牙を向いた猿…やはり賤しき者は哀れよのぅ」
「まことに・・・」
家康は終始伏したままであった。

瀬田川を挟んで対陣した織田・徳川連合軍と羽柴軍の両陣営は連合軍三万五千に対し、
羽柴軍一万八千と倍近くの兵力差があるにも関わらず、秀吉は余裕を見せて全く軍を
動かす気配を見せなかった。それはまるで何かを待つかのように―――
十二章 火炎