十一章 爆裂

天正十一年三月、遂に羽柴秀吉が織田三法師を擁立して織田信正を相手取って挙兵した。
羽柴家は備前・備中・伯耆・美作・播磨・因幡・但馬、更には旧明智領の丹波をも併呑して
八ヶ国にも及ぶ大領となった。また、それに呼応して越後の上杉景勝も織田家の越中に侵攻し、
勝家与騎の佐々成政、前田利家らと一進一退の攻防を繰り広げていた。

「長可の仇、必ずやこの手で討ってくれる!!」
激昂して怒号を飛ばす成政に、利家が冷静に釘を刺す。
「はやるな、内蔵助。我らの受け賜った命は上杉から越中を守り抜くことであって、景勝を
討つことではない。神軍と名高き上杉軍と正面から交えるは愚かというもの。我らは親父殿が
中原に押し出されている間、奴らを足止めする事を第一に考えねばならぬ」
「臆したか又左!ならばお主は一体どうしようと言うのじゃ」
成政が利家に食ってかかる。
「…わしに策がある。景勝を討てるかは判らぬが、巧くいけば上杉軍に大打撃を与えられるはずだ」
そう言って利家は越中越後国境付近の地図を広げ、成政になにやら説明しているのだった。


姫路城を発した羽柴軍は、まず山城を手中に収め一気に織田の本拠である安土を目指した。
その途上、瀬田城を包囲したが城主の山岡景隆が形だけの抵抗で降伏したため、瀬田城に
入った秀吉であったが、どうにも腑に落ちない事があった。
(何故景隆は橋を焼き落とさなかったのじゃ。瀬田の橋は古来より戦のたびに落とされて来たもの。
景隆自身、光秀が攻めてきおった時は一度焼いておる。それに織田家の忠臣である景隆が大した
抵抗も見せずに我らに降ったのも解せぬ…)
その時である、官兵衛が大いに取り乱して不自由な足を引きずりながら現れた。
「上様、大変で御座います。牢に入れて置いたはずの景隆ら織田の捕虜が一人残らず
消え申して御座います!!」
な、なんじゃと!? 秀吉は驚愕すると共に、即座に状況を判断した。
「官兵衛、将兵を全員直ちに城より出すのじゃ!!」
「何故に御座いますか?将兵達も今は休息に入ったところに…」
「今は時間がない、わけは後で話すゆえこの城より一歩でも遠くへ離れるのじゃ!!」
「ははっ、直ちに」

突然たたき起こされ、何が起こったのか理解できないまま主君の命に従って瀬田城を出た羽柴軍
であったが、すぐに立ち往生することとなった。
「た、大変じゃ!瀬田の橋が落とされておるぞ」
つい先程通ったはずの橋が焼き落とされていたのである。
報告を受けた秀吉が顔を歪めて(しまった)と思った丁度そのとき、背中の方で途轍もなく大きな
爆音が響いた。驚いて皆が振り向くと、なんと瀬田城内のあちこちで爆発が起こり、城その物が
焼け崩れだした。
信正は景隆に命じ瀬田城の要所十数か所に特製の火薬を詰めた箱を隠させ、夜中に爆発するように
設置していたのであった。逃げ遅れた兵達は残らず焼死ないし爆死の憂目を見た。
燃え盛る城は漆黒の夜空を照らし、深夜にも関わらず真昼を思わせる明るさであった。