中央で信正と秀吉が一大決戦に臨んでいる頃、
前田利家・佐々成政らの守る北陸でも大きな動きがあった。
「な、なぜじゃ!奴ら何故に退きおるのじゃ!!」
「解らぬ・・だが、上杉が退くのであれば越中に引き込む策はもはや使えぬ・・・。
無念だが長可の仇は討てまい」
「なんじゃと!?敵が退くならば追い討ちをかけるのが常道であろう!」
越中越後国境で対峙していた織田・上杉の両軍であるが、
突如上杉軍が撤退を始めたのである。
「それも一理あるが我らの命じられたのは守ることだ。
こちらから攻めてはならぬとの親父殿の言葉を忘れたか」
「戦は生き物じゃ、臨機応変に対応してこその将ではないのか!」
「親父殿が動くなと言われた…それが全てだ」
「ええぃ、もうよいわ!わしの手勢だけでも上杉の奴輩に目に物見せてくれる」
長可討死の一件から完全に頭に血の上っている成政は、
利家の制止も振り切って撤退していく上杉軍に追い討ちをかける。
が、さすがは天下に名高き上杉軍、理由定かならぬ退陣ではあるが
見事な引き際で、殿軍を任された斎藤朝信は成政の攻撃を全く受け付けない。
それはまるで、巨大な象の群れに狂犬が一匹で挑むようであった。
結局成政は大した戦果もなく引き上げるしかなくなり、
後、軍律違反として勝家に厳しく叱責された。
果たして、上杉軍は何ゆえ引き上げてしまったのか。
問題は奥羽・越後間で起こった。
森長可に呼応して叛乱を起こした新発田重家だったが、
長可が討死したことにより暫くはなりを潜めていた。
しかしその重家が、中央進出を狙い始めた伊達政宗・最上義光らの支援を受けて、
瞬く間に越後の東半分を平らげてしまい、
景勝の居城である春日山城に新発田・伊達・最上の連合軍が迫っていたのである。
一方、中央を挟んで西方でも動きがあった。
秀吉が出陣している間に、主命を受けた石田佐吉・小西弥九郎・大谷紀之介らが
四国の長宗我部氏・九州の大友氏を引き入れて、既に同盟関係にある毛利氏も含めて
西国に反織田を掲げる大同盟を形成していたのだ。
だがしかし、この同盟には大きな誤算があった。
参加大名家はおろか当の姫路にすら未だ伝わっていないが、
瀬田の戦いで秀吉は信正率いる織田軍に大敗、その上、中国一帯を支配する毛利は、
後にこれを期に信正に人質を差し出して降伏、同盟から離脱してしまうことになるのである。
そして肝心の中央では、信長を超える魔王信正の前に、秀吉の命運は風前の灯火となっていた。