軍議の翌日、家康は徳川家の去就を伝え明智家の去就を確認するため、
只一騎、光秀の陣所を訪れた。すると光秀は自ら出向き、
「おお家康殿!先日はあわやという所を御助勢いただき御礼の申しようもございませぬ」
と並ならぬ感謝の念を伝えた。
「いやいや、拙者らはただ武門のなんたるかを天に問うたのみにござります。
 それよりも日向守殿、これからのことにござるが・・・」
「おお、そうでござったな。当家は拠点となる安土を押さえたゆえ、
 旧織田領の切り取りにかかろうと思うが・・・」
「それが上策かと存じますな。幸いにも織田家の軍団は各方面に散っていて、
 集結には期を要するであろう。残る問題は・・前日の残党ですな」

ちなみに家康の言う“前日の残党”とは三七郎信孝や五郎佐エ門長秀を指し、
左中将信忠は含まれていない。それというのは先日、本能寺に後詰めしていた
信忠の軍勢は信長の死とほぼ同時に霧散してしまい
行方知れずになっていたが昨日、落ち武者狩りに遭い、討たれた
という知らせが入っていたからである。
しかし、このとき両者は多忙の極みにあり直接その首をみていなかった。

光秀は笑みを浮かべて言った。
「それなら当面は問題ありますまい。大和の筒井順慶を当てておりますし、反織田感情を
 抱いていた伊賀・甲賀や紀伊の雑賀衆も我らになびく気配に御座れば」
「おお、それはありがたい知らせですな。濃尾州が、伊勢志摩が織田領である以上、
 帰領にはそれなりの覚悟をしていたがそれならば紀州より海路をとれそうですな」
家康がそう言ったとき一人の忍が突然現れて光秀に何か耳打ちし、また風のように
去って行った。
「家康殿、そう安堵してもいられないようですな・・」
光秀は言った。
「ど、どういうことでしょう?」
家康が少々狼狽気味に聞き返した。
「今のは先程話したように我らになびいた伊賀忍衆の頭領の百地三太夫(ももち
 さんだゆう)の手の者で楽毅(がっき)と申す者。
知らせによると伊勢の三介が鳥羽海賊衆の援護により三河へ進軍しているらしい」
三介というのは信長の次男、北畠(織田)三介信雄のことだ。
信長存命中はその不明さを〔父親に似ても似つかぬ暗愚者〕と言われていた。
それゆえにこの二人は全く警戒していなかったのだが、
なんと早くも変報を聞きつけ、家康が大軍を引き連れて京に
滞在しているため手薄になっている本領、三河へ侵攻したらしい。
家康は焦った・・・。

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九章 織田の暗愚者