信長を失った織田勢は脆く、
もはや明智・徳川軍に敵する事もかなわずそれぞれ敗走。
明智・徳川両軍がともに迅速な行動を要したため、御首(みしるし)は討ち捨てにされたため
大将格の将士の生死すら不明である。
勝ちに乗った光秀はそのまま京を占拠、その守護にあった細川藤孝を降し、
味方に引き込むと、人質としてその嫡子である忠興を手元に置いた。
そして光秀は自ら御所に赴くとかねてより親交のあった公家、
吉田兼見を通じて新たな京の守護職に着く事を認めさせた。
翌日、軍備を整えた光秀は南江州に陣を進め、
すでに守将・蒲生定秀が信長の妻子とともに脱出したため、
空城となっていた安土城を回収、秀満を抑えとして留めた。

同じ頃、徳川軍の陣中では軍議を開いていた。
その場にいるのは、御大将の徳川家康、その知恵袋の本多正信、
徳川四天王の一人本多忠勝と同じく四天王の井伊直政、酒井忠次、
そして信長をして「長篠の鬚面」と評された大久保兄弟である。
「まずは上々の首尾でござったな」最初に口を開いたのは正信だった。
「前右府(信長)公は明智日向守(光秀)殿の謀叛を誘ったつもりだったで
あろうが・・・」
「策士、策に溺れる・・・とはまさにこの事にござりますな」
正信がいい終わらぬうちに横から口を挟んだのは直政だ。
この血気盛んな若武者は、ろくに槍働きもできないのに家康のそばで
でかい顔をしている正信が気に入らないらしい。
その皮肉もこもっていたのだろう。場の空気が重くなる。
そこで家康がおもむろに口を開いた。
「皆、大儀である。この度、我が徳川家は日向守殿に助力し、信康の無念を晴らすとともに、
天下を目指す事と相成った。各々心得るように。」
家康が天下を目指すと口にしたことに歴戦のつわもの達は色めきたった。
その後、軍議の末、まず小田原の北条氏と結んだ上で、
信長の横死によって領主不在となった甲斐・信濃を切り取るということになった。

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八章 徳川の進路