二七章 知略の黒衣

「なんということじゃ、父上が未だ御健在であられたとは…
 光秀め、影に惑わされ討ちもらしおったな」
<信長、北ノ庄のあり>の報を受けた三介信雄は大きな転進を余儀なくされ、
そのため数人の近臣とともに緊急の密議を行っていた。
「上さ‥や、信長殿の気質を考えれば、信長殿に叛いた我らへの討伐軍が間も 無く進発することでしょう。
 問題は、新たに盟主となられた三介様を直接狙ってくるか、それとも京にある軍勢の駆逐に動くかです。
 それによって我らのとるべき道も自ずと決まりましょう。」
冷静に現在の新織田家の状況を判断した意見を述べたのは川尻秀隆である。
秀隆が言い終えると、間をおかずに口を開いた者がいた。
「京じゃ、信長様は必ず京へ軍を向ける。あのお方は我らが京を押さえたことを利用し、
 此度叛旗を翻した我らだけでなく、自分の完全支配を拒絶する公家達をも一掃するつもりなのじゃ!」
「いや、いくら信長殿が第六天魔王と呼ばれる程の方とは言え、
 まさかそこまではするまい。それに信長殿は今までも朝廷の権威に重きを置いてきたではないか」
「そう、今まではな。だがここ最近の信長様は違う。従二位の位も、右大臣の職も全て返上したそうでは無いか。
 それだけではない、先年行われた御馬揃え、蘭奢待の切り取りなど、全て常識ではあり得ぬ事ばかりじゃ。
 もはや信長様は京を焼くことなど毛ほどにも思われまい。
 いや、格式ばったものを毛嫌いする信長様にとってはかえって好都合かも知れぬわ…。
信秀様御存命、信長様が幼少の頃より御仕えしてきた儂には信長様の御考えなど手に取るように判るのよ」
そういうと男は静かに茶をすすった。
その男は黒衣を身に纏いながらも刀を差しており、その姿からは僧なのか士分なのかは判らない。
しかしこの場で、いや新・本の両織田家全体でもこの男を知らないものはいない。
男の名は佐久間信盛。かつて信長に仕え織田家筆頭家老として、柴田勝家すらをも凌ぐ地位にあり、
公には一五八一(天正九)年に死んでいる男である。

信盛は、信長が幼少の頃より守役の平手政秀とともに信長に仕え、
当時の織田家当主、織田信秀が死去し、世継ぎ問題が発生した際、
同僚の林秀貞や柴田勝家が弟の勘十郎信行(信勝)を支持したのに対し、
信盛は信長の数少ない支持者となり、信任を得た。
しかし、当時の信盛は深謀には長けておらず、戦もあまり巧くはなかった。
それ故に三方ヶ原でも惨敗を喫し、政秀の子である汎秀を討死させている。
また、石山本願寺攻めの総大将を命じられながら思うように戦果を挙げられず、終戦に十年もの歳月を費やした。
さらに信盛は政秀諫死の後、信長の守役を自負し、信長の決定に意見する事も多かった。
それらが積み重なって一五八〇(天正八)年八月、子の信栄とともに信長から激しい叱責を受け、追放処分を受けた。
その後信盛は剃髪し、夢斎定盛と称したが、その才を惜しんだ信雄の要請に応じ、還俗して出仕した。
(子の信栄はこの時に許され、信長の嫡子である信忠に付けられている)
しかし、当主である信長の勘気を被った以上は堂々と仕える訳にもいかず、
表面上は死亡した事にして、巧く潜んでいたのだった。

「うむ信盛の申すこと、一々もっともじゃ。比叡の山すら焼払う父上が、
 今更都を焼くことを躊躇うとは思えぬ。これは大事じゃぞ‥京を焼かぬためには我らが退かねばなるまい…。
 やむを得ぬわ。誰か早急に使いを致せ、全軍に撤退命令を出すのじゃ!!」