二十六章 甲越龍虎
小太郎の目撃した勝頼は紛れも無く本物であった。
天目山で敗死したはずの勝頼がどういった経緯をたどり、
越後の上杉家に潜んでいるかは定かではないが、
裏で真田が一躍買っているのは、天目山に入る前に真田安房守昌幸が
真田領内の岩櫃城に籠もることを勧めたころからも疑いようが無いだろう。

天正三(1575)年、勝頼が率いた設楽ヶ原(長篠)の戦において
当時、向かう所敵無しと謳(うた)われ戦国最強を誇った騎馬軍団は、
信長の火縄銃を大量に導入した魔道の如き戦術の前に壊滅の憂き目に合い、
名将・勇将・猛将らも大多数が、身に鉛玉をうけ、原野にその血を吸わし、
散っていった将兵は一万を超えるとも言われた。
しかし、その意を継ぎ、志を汲む者もまた多く、武田家再興のため各地の反織田勢力に働きかけている。
打倒信長を掲げる彼らは「本能寺にて信長死す」の報に一時は萎えもしたが、
乱波・透波の調べによりその生存を確認し、今はまた信長への復讐に燃えている。

「信長め、やはり生きておったか…。
 まぁよいわ、奴をこの手で討ち、その時こそワシは武田家を再興してみせる」
独語し勝頼は行軍を続ける…。


家康や、氏政が懸念しているほど不気味なまでに動きのなかった上杉だが、
その実は水面下でかなり激しく動いていた。それもそのはず、
つい数日前まで果敢に越中に攻め込んでいた織田軍が神隠しにあったかのように
姿を消したかと思うと、信長が討死の報が飛び交い、突然織田家が分裂したかと思うと、
北ノ庄に大軍が現れ、今度は信長生存の報が駆け巡った。上杉自慢の忍軍、
軒猿の諜報部隊もこれ程までに情報が錯乱していては状況が把握できず、
それによって上杉軍も動けないのである。上杉家新当主の景勝は、義父譲りの
正義感と大儀を重んじる心は強く、争いは好まない。
それは寵臣の直江兼続も同様で、二人は常に意をともにしていた。
織田家が分裂したということは、当然両者の思惑は異なり、
それらが必ずしも上杉家にとって不義となるとは限らず、
敵は少ない方が良いという考えから、両者の思惑がある程度読み取れるまで
西方および南方には進軍しないことに決めたのだ。
ただ、それで収まらない勝頼は、あくまで牽制という形で越中に押し出した。
中央では織田家が、西国では毛利・宇喜多氏が、そして東国で上杉・北条・武田氏の、
いずれも劣らぬ戦国の綺羅星達が、大きく動き出したのだった。