信長は生きていた?その報せは討死のそれよりはるかに早く全国に伝わった。光秀や信雄、
家康の驚愕は言うまでもないがその影響を最も強く受けたのが幼君
宇喜多秀家を当主とし,
三人の家老と、後見人で先年没した先代当主の備前の梟雄、宇喜多直家の弟である忠家が支える
宇喜多家だった。宇喜多家は一時は毛
利氏の傘下に入っていたのだが、中国地方攻略軍軍団長
となった秀吉が台頭して
くると、黒田官兵衛の調略により当時六歳の嫡子、八郎を人質に差し出し、
秀吉
に帰服していた。しかしこの時に、家臣たちの中で、毛利に従うべきではないかという動きが
起きた。しかしその家臣たちが蜂起する前に本能寺で乱が起き、織田
家と毛利氏が和睦を結んだ
ため、お流れになっていたのだが、その和睦に納得し
ていなかった毛利家中の吉川元春を筆頭
とする不穏分子はこの宇喜田の家臣団
にも調略の手を伸ばしていた。そしてこれに応じたのが、
宇喜多三老のうちの長
船貞親、岡利勝の二人とその家臣だった。忠家らは密かに示し合わせ出奔、元春の居城である石見月山冨田城に集結し決起した。こうして宇喜多・毛利の両家は信長の復活によって大打撃を受けたのである。これは由々しき事態と、忠家と三家老の残った一人の戸川秀安は、安芸国吉田郡山へ赴き、毛利輝元に小早川隆景ら毛利首脳陣らと会合していた。

「輝元殿、これは一体全体どういう事で御座るか!?」
「うぅむ・・吉川の叔父上が謀叛を起こすなどどうなっておるのか、儂にも判らんのじゃ。
先日、元清を使者として使わしたゆえ、もう帰ってもよい頃だとおも
うが…」

輝元が興奮する忠家に言い終わるか終らぬかという内に、どこか物静かな男が一人、
どこからともなく現れた。この男こそ毛利元就の四男、穂井田元清である。

元清は、元就の政策で備中猿懸城城主だった穂井田氏の後を継いだ。文化にも通じた武勇の人で、
天正六(一五七八)年にはかつて西国に繁栄していた尼子家の再興を掲げた尼子勝久を奉じた山中鹿之介らを降すなど、その功は華々しいもの
がある。元清は四刻前、月山冨田城を訪れていた。

騒然と軍備を整えている月山冨田城を前に、元清は困惑していた。
「兄上は何をお考えなのだ・・この大事な時期に謀叛などと、正気の沙汰とは思え ぬ。
何が起こっているというのだ・・・・」

考えていてもしかたがないので、元清は門番に話しかけた。
「私は穂井田元清だ、そちも名くらいは聞いたことがあろう。兄上を問い申しに 参った。
兄上に取り次いでくれ」

門番は、そのまま中へ駆けていった。しばらくすると、なんと元春が自ら出向いてきた。軍装を整え戦甲冑に身を包んだ元春が口を開いた。
「おう、元清。久しいのう。今日は如何用でわざわざ参ったのじゃ?」
あまりに普通な対応に元清はしばし呆気(あっけ)に取られていたが、我に返った。
「い、如何用で参ったかなどと、本気で尋ねておられるのですか兄上!私は兄上が 謀叛を起こされたというというので詰問に参ったのですぞ!」
「ほう、輝元様は儂が謀叛したとおっしゃるのか?」
「当然で御座います!これが謀叛でなくてなんだと申すのですか」
あくまで詰問する元清に、元春は毅然と言い放った。
「謀叛などと、左様に物騒なことを申すものではないぞ。儂は輝元様が御家を誤った方向へ
お導きいたそうとしておるゆえ、身を挺してお諌め申しておるのじ
ゃ。長船殿や岡殿も同心じゃ。
この軍備は決して毛利家や宇喜多家に向けたも
のではない。輝元様さえ御決断いただけばすぐに
でも織田に攻めかかれるよう
手配しておるのじゃ。先日の明智らとの戦で織田の姫路やそこらは
ほとんど空
城同然じゃ。これらを一気に抜けば上洛とて不可能ではあるまい」

「兄上はこの期に及んでまだ父上の御遺言を反故になされようと申すのですか・・兄上・・拙者には
どうしても解せませぬ・・・。兄上はどうしてそれ程までに天下
にこだわられるのですか?当家は当家
の分限を守り抜き、そのようなものは勝
手に争わせておればよいではないですか。なぜそうも争いを
広げようとなさる
のです・・・」

「毛利家は確かに、父上一代で築かれた家じゃ。ゆえにその遺言も重きをなす。しかし元清よ、
父上の時代と今では決定的に違う所がある。判るか?」

「判りませぬ。なんでありましょうか?」
「それは天下の情勢じゃ。父上の頃、天下は京以東で争っておるだけであった。それゆえ我らは
それ以西で独自の道を歩んでおった。しかし今はどうじゃ?騒乱
の火粉は我らのもとにも飛んで
きておる。いや、今となっては我らのもとに争い
の火種があるわけか・・・」

元春は虚空を(というよりは自分の城を)見据えて言った。それで元清はおおよその状況を
理解することができた。

「兄上・・義昭公をまつり上げられるおつもりなのですか?」
「まつり上げるのではない。義昭様から我らに御声を掛けて下さったのだ。義昭様は確かに都を
追われはしたが、正統な足利将軍家の跡取りにあられる。室町幕府
再興のため、われらは義昭様
に尽す所存じゃ」

「なんと・・そうで御座いましたか・・・。判りました、これにて失礼いたします」
「そうか。元清、我らとともにこぬか?今なら儂が義昭様にとりなしてやるぞ」
元清はそれには答えずそのまま報告のため輝元のもとへ戻った。

二四章 中国憂乱