「いざ、出陣じゃ!」
織田家宿老筆頭、柴田勝家の号令に従い、総大将を織田信長とする三〇〇〇〇余の軍勢が、北ノ庄を出立した。
京へ向かうこの軍勢は途中、勝家と同じく、織田家を二分する家老、丹羽長秀の拠る近江佐和山城に立ち寄った。
佐和山では信忠・秀吉等摂津での戦に敗れた家臣たちや各地方の重役やちが集まっていた。
しかし大広間に集められた家臣団の中には、信長の生存は何らかの理由自分達を集めるために流された虚報や、
罠だと思う者や、その生存を望まぬ者など、その心中は様ざまで、中には要所要所に兵を伏せてあるものもいた。
長秀や、勝家はそれを知りながら、敢えて黙認した。重々しい空気の大広間に、勝家、長秀が入室し、
その後ろに小姓・森乱丸が続く。そして最後に織田前右府信長がその威厳に満ちた姿を見せた。
信長は、あの本能寺から消えた黄金の甲冑に南蛮具足と南蛮のマントをまとい、そこから発する光は、
実際に光っているものより格段に見る者の意識を吸い寄せた。上座に立った信長は、座らずに立ったままで言葉を発した。
「皆の者、大儀である」
広間に集まっていた家臣団が一斉に平伏し、再び頭を上げる。
「三介(織田信雄)に十兵衛(明智光秀)、家康公が一気に反旗を翻した今、我が織田家のある状況はかつて
 足利義昭公が形成された包囲網よりも厳しいだろう。かの時とは違い、此度は相手の足並みが揃うておるゆえじゃ。
 まずはどこか一角食い破らねば二進(にっち)も三進(さっち)もいかんわ。そこで皆の意見を聞こうと思う。
 各々、思うところを遠慮なく申してみよ」
そう言って信長はその場に座した。最初に意見を出したのは本能寺で討死を遂げた、信長の乳兄弟、
池田勝入斎恒興の遺児、池田元助だった。
「上様、元助謹んで申し上げます」
「うむ。申してみよ」
全ての視線が元助に集中する。しかし臆することなく元助は言う。
「我が父勝入斎は、数々の恩義を忘れ当家に牙を剥いた明智・徳川に討たれ申しました。
 それがし、この無念晴らさねば気が済みませぬ。時を置かず、直ちに逆賊を討ち平らげるべく兵を挙げるべしと存じます」
裏切りに憤る元助の意見に、我も我もと賛同者がでた。勝家も最もだと頷く。
「あいや待たれい。確かにそれも一理あり申すが、それがしはその案に賛成致しかねまする」
そういって異議を申し立てたのは蒲生氏郷だった。
氏郷は元々、近江六角氏の家老だった蒲生賢秀の子で、賢秀が信長に降る際に人質として差し出したのが、
当時賦秀(ますひで)と名乗っていた氏郷だった。人質として織田家にやってきた氏郷だが、その才を気に入った信長の
養女を娶り、今では織田家一門の武将として破格の待遇を受けている。
「度重なる謀叛に、家中に揺れる者、立場の危うい者も多う御座いましょうや。まずは、更なる脱落者を防ぐためにも
 家中の結束を高める事こそ肝要かと」
「確かにそれも一理あり申すな」
氏郷に同調したのは長秀だ。長秀も諸将の忠心に疑念を抱いていたのだった。
「これは五郎左の言葉とは思えんな。日向(光秀)相手に腰でも引けたか。結束を高めるためにも、
 ここでの一戦が重きを得るのじゃ。判らんではなかろう」
勝家が長秀にたしなめるような口調で言うが長秀もここは譲らない。
「腰が引けたとは聞き捨てならんぞ、権六。事は起きてからでは遅いのじゃ。
 常に一手、二手、先を見通しておらねばならん」
ここにきて織田家老の意見は真っ二つに別れた。決断を求めて家臣団は一斉に信長を見る。
「うむ・・氏郷や長秀の申す事も確かに一理あるわ。だが彼奴らは今の内に叩いておかねば面倒な事になるのは
 目に見えておる。ここは一戦交え、完膚なきまでに叩きのめしておかねばならぬ。これでは不服か?長秀、氏郷よ」
「不服など滅相も御座いませぬ。上様の決定とあらば、我ら家臣一同ただ従うのみに御座いまする」
両者は慌てて平伏する。
「うむ。ならばこれより陣割を行う」
こうして織田家の方針は三介信雄軍の撃破に決定したのであった。

二三章 覇王再び