北ノ庄を訪れた滝川雄利は柴田勝家と密談におよび、思っていた。
「ほぅ・・この者が織田の命運を握る漢(おとこ)か…。なるほど確かに尋常ならぬ気迫。
 相当な場数を踏んでいるな・・噂に違わぬ武威一点張りか。この漢の去就に織田の衆は従うに相違なし。
 しかしなによりこの漢・・イカツイ」
声に出さず独語した雄利に向かって勝家は極力怒りを押さえて、少なくとも自分はそのつもりで言った。
「秀長より既に大方の話は聞いておるわ、儂に三介公につけと申すのなら無駄足じゃ!儂は日向守を
 討つ兵を挙げるならとかくも、合力する言われはないわ。その首、刎ねられぬうちに早々に立ち去れ!」
勝家の有無を言わせぬ応答に雄利はかなり気圧された様子で答えた。
「な、なんと・・。こ、後悔なされますなよ・・・信雄様は勝家殿をたいへん頼りになさっておったものを」
そう言うと、雄利はあっさりと引き下がりすごすごと出て行ってしまった。
「なんじゃ張り合いの無いヤツめ。しかし芝居というのはどうも肩がこっていかんわ・・・。これでよかったのか?」
誰もいなくなった部屋で勝家が独語すると、隣の部屋から端整な顔立ちの青年が微笑を浮かべ入ってきた。
「はい、お見事でしたよ。これで三介めを欺けば勝機も見えましょう」
「そうか。お蘭、もう傷はよいのか?」
「御心配おかけいたしました。もうすっかりよくなりまして御座います」
そういって青年武将は腕を見せる。その青年武将は織田家中でも名の知れた小姓、
森蘭丸成利だった。そして、蘭丸の出てきた部屋の中にはもう一人、男が座していた。
こちらは年齢よりも若々しく見える。もう五十路に届こうかという年齢ながら、その眼光と肉体には
いささかの衰えも見えない。その男に向かって乱丸が言う。
「上様、首尾は上々といったところで御座いましょう」
「うむ。三介如きが儂を欺こうなどとふざけた真似を・・・。権六!秀長にこの書を猿に届けさせろ。
 三河の狸にきんか頭など束になろうとこの信長には敵わんことを思い知らせてくれるわ!」
そう、蘭丸とともに北ノ庄にいたこの男こそ、日ノ本大八州のうちおよそ半分の分限を持つ尾張の風雲児、
織田家総帥、織田三郎信長である。信長は本能寺で光秀を誘い出した後、警戒のため放っていた斥侯の
報せで家康の接近を知り、影武者に後を任せていち早く脱出したのであった。
「はっ、今こそ上様の御威光を満天下に知らしめましょうぞ」 
勝家は顔を上気させて言った。

その頃、信忠の上洛を阻止した光秀は、軍をまとめて再編している所だった。
「若(信忠)に、筑前(秀吉)といえども案外不甲斐無いものよ。この光秀の日ノ本惣無事への思いの前に
 あっては何者も無力よ!天下を泰平に導くのはこの光秀をおいて他におらぬ」
光秀は先刻の勝利にしばし酔っていた。が、すぐに現実に引き戻される。
「日向守殿、失礼いたすぞ」
そう言って光秀のいる本陣に入ってきたのは滝川一益だった。
「先刻の戦、誠にもって見事であったな、十兵衛」
一益は親しみを込めて光秀を古い名前で呼んだ。
「こうしてまた陣を並べるのも何かの縁じゃ。信雄様には信長様にも劣らぬ才覚がおありと見受ける。
 それを儂らで天下へ盛り立てようではないか」
「確かに。信雄様には信長様にはなかった御慈悲の御心もある。あの御方なら、日ノ本惣無事を成し遂げる
 のも不可能ではあるまい。ただし、これからの戦は今までとは違うぞ、一益」
「そのくらい判っておる。戦は戦でも戦をなくすための戦″…じゃろ」
一益が言うと、光秀は無言でうなずいた。

二二章 忠義の赤鬼