織田軍と明智軍が激闘を開始した頃、織田軍を牽制するべく播磨に上陸した長宗我部軍を迎え撃って、
黒田官兵衛率いる織田軍別動隊も戦闘を開始していた。数刻前、姫路城に集結して軍議を開いていた官兵衛は、
その軍議の場で唯一の策である捨て身の策を説明した。それは、まず味方の先鋒が敵に打ち崩され、
そのまま後方に撤退し敵軍が勢いに乗って追撃してきた所を、伏兵で側面と背後を同時に衝き、
乱れた所を一気に突き崩す、というものだった。この作戦での先鋒は生存率が限りなく無に等しいと思われた。
その席で高山右近が、官兵衛に質問した。
「なにも本当に打ち崩されずとも、浮き足立った振りをすれば敵を誘い込めるのではないでしょうか?」
「右近殿の御考えも一理ありますが、それは相手が並みの将であった場合。【土佐の出来人】の異名を取る
 ほどの英傑を釣るにはそれでは余りにも甘く見過ぎでありましょうや。」
官兵衛は右近の意見を一蹴し、危険極まる先鋒に蜂須賀小六を抜擢した。もちろんそれは官兵衛の独断で、
信忠や秀吉の許可は無い。しかし、当の小六やその家臣達はそんな事は知らない。
それが織田家、しいては羽柴家のためと心から信じ、快く引き受けていた。
その蜂須賀隊は決死の覚悟で長宗我部軍の最前部にあった信親隊に総突撃していた。
死兵ほど強いものは無いだろう。これは各地の大名を苦しめた一向一揆などの宗教にも同じ事が言える。
その鬼気迫る戦ぶりに信親隊は一当てで弾かれてしまった。ある程度敵軍に被害を与えた小六は、
策戦の決行を考え、あえて攻撃の手を緩めた。当然、それを好機し押さえ込まれていた各隊は一気に反撃に移る。
その流れに上手く乗り、蜂須賀隊はずるずると後退していく。
小六、官兵衛が成功を確信しかけた時、にわかに長宗我部軍本陣、つまり元親がにわかに動いた。
本陣の内では元親が伝令を出していた。
「あの退き方、官兵衛の事だ、何あるぞ。各陣、深追いはならん、後退せよ!
 われらの役目は彼奴らの足止めじゃ。引き付けられるな」
伝令とともに激しく陣太鼓が打ち鳴らされる。その激しさに異常を感じた各隊は、速やかに後退していく。
「ええい、全軍押し出せ、一気に蹴散らすのじゃ!」
官兵衛は焦りのままに無謀な突撃を仕掛けた。自他共に認めるまでの名軍師は己の完敗を認められず策を失い、
数でも劣る織田軍は、各個撃破の憂き目に合い、官兵衛の周りも四、五人ばかりの馬廻りのみを残し、
全て敵となっていた。右側を守っていた一人が、鎧武者に槍で胸を貫かれ果てるがその武者を、
背後を守っていた一人が切り捨てる。その時、一騎の騎馬武者が官兵衛の方に駆けてきた。
「そこにおわすは、黒田官兵衛殿と御見受け致す。拙者は長宗我部元親が甥の一人、長宗我部新左衛門と申す。
 その首、頂戴つかまつる!」
なんと、その騎馬武者は長宗我部家中一の豪傑で知られた長宗我部親吉だった。それを聞いた官兵衛は、
死を覚悟したが、左側を守っていた馬回りの一人が親吉に叫び返した。
「親吉殿!自分、官兵衛が臣の一、後藤又兵衛基次と申す。冥土の土産に是非、手合わせ願いたい。
 いざ、勝負なされよ」
その隙に、官兵衛はその場から逃げ出していた。
「よかろう、拙者との手合わせを冥土の語り草とするがよいわ。いざ、参る!」
又兵衛は大身槍を手に歴戦の勇士を相手取り、互角以上の戦いを繰り広げた。
が、若い又兵衛はまだあまり場数を踏んでいなかった。次第に形成は逆転していき、又兵衛の槍が弾かれ、
宙を舞う。次いで親吉の槍が又兵衛の胸部に迫る。又兵衛は覚悟を決めて目を閉じる。
殿は落ち延びられたであろうか・・・。
ふとそんな事を考えた。しかし、目を開けてみると自分を貫いているはずの槍は寸前で止まっており、
親吉は好敵手を見付けたと言わんばかりに笑みを浮かべ、馬上から言った。
「お主の様な者はたとえ敵とて死なすに惜しいわ。腕を磨け!そしてまたいつか相間見えようぞ!」
そういって親吉は走り去っていった。その頃には上手く落ちた者以外、織田の兵は全滅状態で、
長宗我部軍も退き始めていたので又兵衛はそのまま官兵衛を探して歩き出した。
対長宗我部戦は、織田軍の完敗であった。

目次
二十章 名軍師の落日