天正一〇年六月八日午前六時、最初の激突は信雄系織田家を盟主とする明智連合軍
(これより先は明智軍)の先鋒である、光秀の女婿・斎藤利三と信忠系織田軍(これより先は織田軍)の
突出した、福島正則の部隊とで始まった。斎藤隊の鉄砲が組頭の号令のもと、一斉に火を噴いた。
しかし、福島隊では放った斥候の報告により最初の鉄砲の集中射撃は予測しており、
前線の長槍隊には竹束の盾を持たせていたので銃弾の大方は弾かれて飛び散り、死傷者は少なかった。
「敵に玉込めの間を与えるな!長槍を持つ者は隣の者と足並みを揃えて槍衾を作り押し進め!」
両隊の激突が乱戦になると、正則は自ら最前線で槍を揮い攻め寄せる敵軍を一気に追い散らした。
味方の前線での有利にも関わらず、織田軍の実質上の総大将である秀吉は疑問に満ちた顔をしていた。
(兵力六〇〇〇の一益が第一備だと・・解せぬぞ・・。何故そのように多数の兵を最前線に置くのじゃ。
 何かは判らぬが何か策が隠されている!間違いない)
「虎之助(加藤清正)と五郎左衛門(丹羽長秀)を押し出せ!このままだと市松が潰される!」
信長の代から、命令は絶対かつ迅速に実行する家訓的なものが染み付いていた織田家の将兵達は、
打ち鳴らされる合図の陣太鼓に従って早急に行動を取った。
同時にそれに合わせるように明智軍でも、法螺貝の音が響き渡り秀吉の不安の元だった滝川隊のうち、
三五〇〇が動いた。滝川隊が前に出たことにより、斎藤隊も俄然盛り返して福島隊を押し返す。
一進一退を繰り返していた前線を打破したのは、福島正則と加藤清正の豪傑二人だった。
二人はこのままでは埒が明かないので互いに馬周りとともに、斎藤隊に突っ込み獣の如く暴れ狂った。
両部隊の残兵もそれに続き、斎藤隊と滝川隊を攻め立てる。
その火の出るような攻撃に斎藤隊は一気に殲滅され、利三は左腕を射抜かれ這う這うの体で辛うじて、
総大将光秀の本陣へと逃げ帰った。光秀は利三に
「利三、その傷ではもはや闘えまい。亀山に退き傷を癒せ」
と言って戦の最中にも関わらず、居城への帰還を許した。
「第三陣を前に出すのじゃ!敵を包み込め!福島正則と加藤清正を討ち取った者を此度の第一の功とする」
無人の野を行くが如く戦場を駆け巡る二人に対して光秀はそれほど慌てる事も無く冷静に対処した。
織田軍でも毛利家からの客将、小早川隆景と清水宗治が動いた。
「我らもこの機に乗ずるのだ!」
「負けるわけにはいかぬぞ!」
毛利の両軍は自軍を鼓舞して一斉突撃した。筒井順慶、細川忠興・岡田重孝の三人は互いに示し合わせて、
鶴翼の陣形になり、数で勝っている事を考え、敵を包み込んで磨り潰すように確実に敵の兵を削っていった。
「手強い敵のようですね・・・」
「馬鹿な、押されているだと」
隆景と宗治は一糸乱れぬ波状攻撃を受けてじりじりと後退させられていき、その攻撃に前線に出ていた
滝川隊の四〇〇〇が加わると丹羽隊もそれに巻き込まれ、押し戻されていった。これによって押し切りで
突出していた福島と加藤の両隊が敵中で孤立してしまった。
正則と清正は合わせて一五〇〇弱の兵を鋒やの陣形に組み直し、敵中の強豪突破を図った。
しかしそこには、徳川家中随一の猛者で、武田信玄をして「家康に過ぎたるもの」、
織田信長にも「花も実もある勇将」と称された、本多平八郎忠勝の率いる八〇〇〇の兵が待ち構えていた。
「徳川の力、ヒヨッコどもに思い知らせてくれる」
忠勝が家康からこの戦のために借り受けた軍配を大きく前に振りかざすと、八〇〇〇の兵は山が動くかの如く
重く動き始めた。総力の半分以上投入した明智軍に対し、数で劣る織田軍は、
本陣に警護のための二〇〇〇のみを残して全軍を投入する動きを見せた。秀吉はこれを危険と判断して、
信忠を諌めようとしたが、信忠はこれを聞き入れず、秀吉にも総攻撃に参加するよう命じた。
織田軍が総力を投入すると、第一陣でありながら、開戦とともに明智軍の中程に留まっていた一益隊の
一益が直接率いる二〇〇〇が突如として戦場から大きく迂回するように、動き出した。
これを見た秀吉は頭をよぎっていた疑問が解けた。
「読めた!一益の六〇〇〇のうち四〇〇〇は敵を引き着ける囮。直属の二〇〇〇こそが、
 手薄になった本陣を衝くための奇襲部隊か。一益の奇襲好きはお見通しじゃわい。一益さえ潰せばこの戦、
 勝てる!しかし、官兵衛は戻るのが遅れているようだが・・よもや失敗したのではあるまいな・・・」

目次
十九章 運命の決戦