信忠と光秀が雌雄を決しようとしているその頃、三河国では本性を現し、野心を露(あらわ)にした
三介信雄が動きを見せていた。

海路より三河に上陸した信雄軍3万7千は次々に砦を抜き、本城の岡崎城を包囲した。
岡崎城内では家康の安否すら分からず意気消沈していた。
打って出る気配も全くないので信雄は抑えの兵を残し、家康の本領、遠江へ向かおうとしていたその時、
信雄の陣に家康の使者と名乗る者が訪れた。
「信雄様、家康公の使者と申すものが面会を求めております」
近習が信雄に告げた。信雄はまさかとは思ったが、家康をなめては痛い目にあうと思いなおし、
「そうか、わかった通せ」
といい、面会を認めた。
信雄の前に現れたのは先日光秀の陣に報告に来た忍、楽毅だった。
楽毅は、警護のために家康の乗った船に同乗していたのだった。
信雄はそんな事は知らないが、しかし、その船が三河に着くには早すぎる
と言う事は分かる。そこから口上を聞く前に大方の予想はつけていたが、
それはこの場で覆されるのであった。
「家康は死んだ・・・か?」
信雄はあえて重い口調で聞いた。
「徳川家康公は先日、伊勢口において九鬼水軍の鉄甲船の襲撃を受け、
 雑賀船団は全滅。家康公も海の藻くずになりかけました」
楽毅の言葉に信雄の眉がピクリと動いた。
「なり・・かけた・・とな?」
「はい。私めが救出いたしましたゆえ、無事脱出できました。そうですな、
今頃は・・・居城、浜松に御着きになる頃ではないかと」
信雄は目を見開いた。
「なんと、そのように早い帰還がかなうか!?・・・まぁよいわ」
信雄は少し慌てたようだったがさほど狼狽している様子はなかった。
それは家康の挙兵はないと踏んだからだった。
報告によれば船団は全滅している、つまり兵は残っていないのである。
家康が単騎で帰城したからといってすぐに挙兵できる余裕はないと判断したのである。
「して、家康はなんと?」
信雄は本題に触れた。楽毅は相変らず無表情のままで語りだした。
「家康公は士気を上げるため天下を取ると言いましたが、それは本心からではなく、
 徳川の天下は諦めております。その上で信雄様の織田家からの独立を望んでおります。
 信雄様の器量を家康公はすでに読み取られておられます。新・織田家成立の暁には信雄様を
 旗頭と仰ぐ事をこの誓書に記されております」
そう言って楽毅は一通の書状を取り出した。それには、今言った事のほかに、
酒井忠次・井伊直正・大久保兄弟の戦死や本多正信は無事で家康とともに帰城したこと、
そして最後に光秀を援護して欲しいと書かれていた・・・。

目次
十六章 家康降る