会談が終了し、夜、官兵衛と小六は毛利軍三〇〇〇とともに羽柴本陣へ帰還し、秀吉に首尾を報告した。
その時、本陣にすっかり元気を取り戻した信忠が入ってきた。
「官兵衛、ようやってくれた。その方らの忠義、しかと見届けたぞ。これからも当家に尽してくれ」
「もったいなきお言葉。この官兵衛、若殿のご無事を心より信じておりましたぞ!」
「うむ。筑前よ、これで機は熟した。逆賊を討つ討伐軍を挙げるのじゃ!
先鋒は・・そうじゃ筑前、その方の下に勇猛な馬廻りがおると聞いたが・・・」
この言葉に官兵衛が子どものように目を爛々と輝かせた。
「市松と虎之助のことに御座りまするな?」
市松とは福島正則、虎之助は加藤清正のことだ。
「うむ。その二人に先鋒を命じてはどうか?」
「それは名案。かの者のような猪武者は此度の戦には打って付けですからな」
「では他の陣取りはその方らに任せる」
「ははっ、では出陣は明日の明朝に」
「よかろう。明智め・・今に見ておれ・・・」
そう言って信忠は寝所へと向かっていった。
その後決定された陣取りは次のようなものであった。
第一陣… 福島 正則 七五〇
加藤 清正 七五〇
第二陣… 小早川 隆景 二〇〇〇
清水 宗治 一〇〇〇
第三陣… 黒田 孝高 二〇〇〇
蜂須賀 正勝 一五〇〇
第四陣… 羽柴 秀吉 六〇〇〇
本陣 … 織田 信忠 一〇〇〇〇
―――――――――――――――――――――
計・二四〇〇〇の大軍勢である。六月四日の明朝、陽の昇り始める頃、信忠軍は備中を発った。
その後、驚くべき行軍速度で昼夜進軍し姫路城に入城した。
織田(羽柴)軍のこの行動は京にいた光秀の耳にも入っていた。
光秀は焦っていた。家康はすでに既に三河目指して出立しており、
残された徳川勢、つまり本多忠勝率いる一〇〇〇〇と、伊賀・甲賀・雑賀衆を含む自らの手勢、
九〇〇〇の計一九〇〇〇で織田軍と決戦に臨むこととなる。数の上でも大差ではないものの劣勢。
それ以上になによりも各隊を率いる部将の質において完全に劣っていた。
今、光秀旗下には斎藤利三くらいしか勇将と呼べる者は残っていなかった。
なぜなら光秀の家臣は信長の策に見事にはまり、大方は本能寺で討ち死にしたからである。
光秀は天を仰ぎ見た。
(本能寺の折、ワシが天にかけた願はかなえられた。つまり天はワシを選んだのじゃ。
ならば羽柴筑前ごときに 負けるはずもない。そうじゃ、ワシは天に選ばれたのじゃ!)
光秀はそう自己暗示をかけた。そして、
「これより出陣いたすぞ!信忠を迎え撃つのじゃ!」
法螺貝の音が低く響き渡り、連合軍は進軍を開始した。
しかし、その士気は低く行軍速度も遅からずとも、とても迅速とは呼べないものだった。
明智連合軍が丹波亀山城に入る頃には織田軍は摂津に入っていた。
明智軍はそのまま摂津方面に向かった。織田、明智の両軍勢はその決戦の時を感じていた・・・。