家康は軍を二手に分け、片方を明智勢と合流させもう片方を自ら率いて、
紀伊経由で急遽帰還することとなった。
もはや徳川は信雄の術中に陥っていたが家康にはそれ以上は思いつかず、
紀伊へ向かっていくのだった。
自らが帰還するというこの選択により、後に徳川家は存亡の窮地に立たされる事になる・・・。

名将家康をこれほどまでに翻弄してやまない信雄は、何故に「暗愚者」を装っていたのだろうか。
それは一重に織田家の行く末を案じたからに他ならない。
次男の自分が、長兄の信忠より格段に優れているとなれば、
家臣団の中には必ずや自分を跡目にしようとする者が現れるだろう。
それこそ御家騒動の発端になりかねない。
長子が家を継がない場合は大抵、内部で確執が起きる。
つい数ヶ月前に滅んだ甲斐の名門、武田家ですら例外ではない。
たとえ、兄の信忠が家を継いだとしても、自分を担いで家が真っ二つに割れる恐れがある。
その危惧をすべて取り払うには、暗愚に振舞うのが一番良い。
そう考えた信雄は世間の風評も気にせず仮面をかぶり続けた。
しかし昨今の父は異常なまでに冷酷で苛烈であった。このままでは家臣の心が離れてしまう。
そう思い、家康の謀叛を黙認したのであった。
が、織田家の現状は先日に絶対君主の父、信長が没し、兄の信忠の生死も
定かでなく、このままでは織田家の子息達は乱の大義名分として
担がれる傀儡と化してしまうだろう。
そうさせない為には織田一族の中から再び家臣団を纏め上げる器量のある者を、
織田家の遺児の中から選ばなければならない。
しかし、信長一代で爆発的に成長した織田家には有能な子息が育たず、
信孝が一番ましだろうが、その程度の器量では纏めるのは不可能だろう。
そうすると織田家のためには自分が出る他ない。そう判断したのであった。
これは信雄にとっても計算外だったことは否めない。

信雄が居城の伊勢長島城を出陣したのが六月四日。
この頃になると、畿内やその付近にいた織田家の各軍団にも悲報が届き始めている。
しかし、信雄同様、この時にはもう行動を開始している者がいた。
中国方面攻略軍軍団長・羽柴筑前守秀吉である。
変の当日、光秀が毛利軍に送った信長暗殺を知らせる使者が誤って、
羽柴軍の陣に迷い込んでしまい、捕縛されてその内容を話したのだ。
主君信長の横死を聞き秀吉はその場に倒れ込んでしまった。
なんとか起き上がると、軍師の黒田官兵衛孝高が耳元でささやいた。
「殿、大殿が亡くなった事これは殿にとってまさに好機ではありませんか。
 今こそ逆賊を討ち滅ぼし、天下を目指すときですぞ、是非にご英断を」
その言葉を聞いて秀吉は無くなっていた血の気を一気に取り戻したが
それでもまだ回復しきらず、ろれつの回らない舌で顔を真っ赤にして激怒した。
「たわけっ、この大たわけ者がぁ!」
「殿?」
官兵衛は何故に自分が大たわけ呼ばわりされたかわからずに聞き返した。すると秀吉は
「貴様には恩義というものがわからぬのか!犬畜生でもエサをやれば三日はその恩を
 忘れぬというに、ましてやこの筑前、上様より受けた御恩、深海より深く、また天空より高い。
 そのワシが織田家に忠義を貫かんでいかがするのじゃ!それを好機などとは・・
 不覚も甚だしいわ!」
そう言うと、少しばかり落ち着きを取り戻し、
「軍議を開くぞ、官兵衛、小六を呼べ」
そう言ったまま黙り込み、なにやら思案を始めていた。

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十一章 忠臣と奸臣